2009年8月26日
新宿西口バス放火事件
1980年8月19日午後9時過ぎ、新宿駅西口バスターミナル20番線で、発車待ちのため停車中だった京王帝都電鉄(現・京王バス東)の運行する中野車庫行きバス(日野RE100)の車内に、男が後部ドアから火のついた新聞紙とガソリンが入ったバケツを車両後方へ投げ込んだ。
火は瞬時にして燃え広がり、6人が死亡、14人が重軽傷を負う惨事となった。
犯人(犯行当時38歳)は北九州市で5人兄弟の末っ子として生まれたが、父親は定職を持たないアルコール依存症であり、親が教育に不理解であったため小学校5年ごろからほとんど登校していなかった。犯人は父親の病死を機に全国を建設作業員として転々とする。1972年に結婚をするも、妻が長男を出産した翌年に離婚。子供を児童施設に預け、各地などを転々としながら現場作業員として働き、毎月子供に仕送りをしていた。
事件当夜、駅前広場に通じる階段に座って酒を飲んでいたところ、通行人などにここから出て行けと言われてカッときて犯行に至った。
犠牲者の中には、後楽園球場の読売ジャイアンツとヤクルトスワローズの試合を観戦した帰りの父親(40歳)と息子(8歳)もいた。この事件を聞いた後楽園球場を管理する株式会社後楽園スタヂアムと巨人軍が告別式に花を贈ったことや、王貞治が祭壇にサインボールを供えたことが日本全国に伝えられた。
死亡した被害者の中には、事件当日に子供の運動靴を買うため勤務先から帰宅途中たまたま新宿に立ち寄り事件に遭遇した母子家庭の母親がいた。通常帰宅経路から離れた場所で事故等に遭遇した場合通勤災害は認定されないが、このケースでは当時の労働大臣の発言等もあり労災認定が実施された。
刑事裁判において検察側は建造物等以外放火罪と殺人罪で起訴。放火に関しては刑法108条の現住建造物等放火罪では「放火により、現に人が住居に使用しまたは人がいる建造物、汽車、電車、船舶、鉱坑を焼損する罪」と規定しているが、この条文に「バス」は明記されていない。営業バスは人が乗車することが想定されているため、バスを汽車や電車に準ずるものとして刑法108条の現住建造物等放火罪を適用すべきとする意見もあったが、判例がなく学説も分かれているため刑法110条の建造物等以外放火罪で起訴された。
検察側は犯人に死刑を求刑したが、一審の東京地方裁判所は「被告人は心神耗弱状態にあった」として無期懲役の判決を下した。弁護側・検察側の双方が控訴したが、二審の東京高等裁判所も一審判決を支持した。犯人は死刑になると考えていたが、無期懲役判決を無罪判決と勘違いしたのか、「罪にならないんですね」と言った後で傍聴席に向かって「ごめんなさい」と言いながら土下座した。
犯人は1997年10月に千葉刑務所内で首吊り自殺した。享年55。
現場となった新宿駅西口バスターミナル20番線は2008年現在も、京王バス東の中野車庫行きや中野駅行きが使用している。
この事件の被害者の一人、杉原美津子は事件後『生きてみたい、もう一度』という手記を出版した。これはベストセラーとなり、1985年に『生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件』のタイトルで映画化された。彼女は事件時、異性関係の悩みから自殺願望を抱いており、放火された際に逃げるのを躊躇したため全身80%火傷の重傷を負ったが、回復した。彼女は自らの希望で被告人に接見している。犯人に対しての言葉は「もう一度やりなおして欲しい」であった。
当時、通常は被害者は被告人と接見することはできなかったが、この時は例外的に認められた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
事件の概要をみてとても悲惨な事件だったのだと思いました。
相互リンク54
仙台 性 風俗 研究所 マンです 西船橋 性 風俗 研究所 マンです 新宿 性 風俗 研究所 マンです
浜松 性 風俗 研究所 超人情報 佐賀 性 風俗 研究所 情報 松山市 性 風俗 研究所 情報
呉市 性 風俗 研究所 情報 金沢 性 風俗 研究所 最高ですね 富山県の方性 風俗 研究所です
性 風俗 研究所 宮城 横浜 性 風俗 研究所
- Permalink
- by
- at 15:08